西園寺マキエの「フリーターの彼氏と幸せに生きられる?」

西園寺マキエの「フリーターの彼氏と幸せに生きられる?」

フリーライターとフリーターが17年付き合い続けて47歳を過ぎるとどうなるか? 仕事・お金・恋愛・結婚、そして人生について考える、アラフィフのブログです。

Amebaでブログを始めよう!

みなさま、大変ご無沙汰しております。

「また書く」と宣言してから、早1年以上。

年をとると、月日が流れるのが速くて、本当におののきます。

 

さて、「結婚することになりました」とご報告してから、一切更新なくそのままになっていたため、「これは途中で破談になったな」と思われた方もいらっしゃったかもしれません。しかしながら、マキエとヨシオは、去る3月某日、正式に結婚しまして、籍を入れました。まったくもって、いまさらではございますが、ブログを読んでくださった皆様に向けて、ここにお知らせさせていただきます。

 

式は、家族だけで近所の氏神様で挙げさせていただきました。マキエは50過ぎですが、白無垢着ちゃいましたよ。チャレンジャーと呼んでください。美容室との打ち合わせなど、なかなか勇気が必要でしたが、思い切ってがんばりました。悔いはありません。

 

20年以上つきあって、50過ぎた、しかも初婚同士の二人が、正式な結婚式に至るまでの話もなかなか面白く、ぜひとも、微に入り細に入り書きたいところなのですが、この通り、日々の仕事と暮らしに流されるばかりで、誠にふがいない限りでございます。

 

あ、それから、正式な夫婦になったとはいえ、マキエとヨシオは相変わらず別居のまま。マキエは母親とともに実家に暮らし、近所にアパート暮らしのヨシオが毎晩通ってくる生活を続けています。

 

だから、マキエとしては、健康保険証の名前が変わったぐらいで、他はまったくなんにも変わっていない。結婚した感も、人妻になった感も乏しく、その点は、ちょっとつまんないですね。笑。

 

何はともあれ、拙著「稼がない男。」を読んでくださった皆様、そして、これまでブログを読んでくださった皆様にも、この場を借りて、改めて御礼申し上げます。

 

で、幸せなことに、別日に、友人たちが集まってくれて、パーティーがありました。そのときにお配りした、マキエの文章とヨシオの絵によるごあいさつ状が下記です。

 

流用で恐縮ですが、このご挨拶状を持ちまして、ブログもいったん区切りとさせていただきたく。

 

これまで、どうもありがとうございました。

みなさま、どうぞお元気で!

 

 

いやはや、「書きます」と予告してから、またまたずいぶん空いてしまった。

 

さて。

 

実はしばらく前、ヨシオと結婚うんぬんの下りをざっと書いてみたのだけれど、読み直してみて、ブログ掲載を躊躇してしまった次第である。

 

なぜか。

 

ひとことで言うと、50代の二人の話にしては、なんだかあまりにも子供っぽかったからである。

 

まあ、いい年して子供っぽいのは、ヨシオのいいところ、でもある。だがしかし、我々も年をとった。誕生日の早いマキエは、もうすぐ53歳である。結婚うんぬんといって、無邪気にはしゃげる年齢ではなくなってしまった、というのが正直なところである。

 

30歳の頃はあんなにしたかった結婚なのに、いざ〝する〟という時になって、思ったほど胸がときめかないなんて、ちょっぴりさびしいもんである。

 

そういえば、わりと最近、阿川佐和子さんや浅野ゆう子さんが50過ぎて結婚したなあ。自分は若い頃、ずっと独身だった人が中年以降に結婚したら、すごく嬉しいもんだろうと想像していたけれど、そういう感じでもないだろうなあ、と、今は思う。

 

いや、嬉しくないわけではない。だが、なんというのだろう、気持ちを色にたとえると、ピンクや赤のような華やかさはないのだ。あえて言うなら、深い緑――だろうか。「共に生きていく人と一緒になる」というより、「共に老いていく人と一緒になる」という感じ。「共に墓に入るであろう人と一緒になる」という感じでもある。まあ、年を考えると当たり前なんだが。

 

そう考えると。

 

やっぱり、若くてピチピチしていたうちに結婚して、若い友人たちと一緒に無邪気にワイワイしたかったな~と、やっぱりちょっと思ったりもする。

 

そんなわけで、ヨシオとマキエは、結婚準備段階に入りました。とはいえ、まだはっきりした時期は決まっていないので、実に中途半端なご報告ですが。

 

なぜこんな中途半端かというと、結婚について、私がヨシオに〝丸投げ〟を決め込んだからだ。つまり、私はヨシオに、「結婚するなら、時期や段取りは、基本的にヨシオちゃんの方で決めて、話を動かしてちょーだい」と言ったのだ。

 

そんなことを親しい友人たちに話したとき、クリさんに言われた。

 

「あーた、やっぱり、『俺と結婚しよう!』って、男に言われたいんでしょ」と。

 

ま、それもある。女の意地?だ。笑。

 

第一、今まで結婚してこなかったのは、基本的にヨシオの要望を私が受け入れ続けた結果である。それを今さら変えるなら、ヨシオがちゃんともろもろ提案するのが筋だろう。

 

いやー、今さら、筋もなんもないもんだが。笑。

 

そんなわけで、さらに私はヨシオに釘をさした。

 

「この件、ヨシオが話を進めない限り、私からはテコでも動きませんからね」

 

もう、ただのすねたババアである。

 

とはいえ、ヨシオは腹を決めたようで、「時期については、今調整中」と、自分なりに計画を推進しているようだ。

 

はてさて、ちゃんと我々はゴールまでたどりつけるのであろうか。

 

ま、結婚がゴールではないんだけどね。

 

いやいや、ぼーっとしてたら、2017年が終わってしまった。

みなさま、お元気でお過ごしでしょうか。

 

突然、ブログをさぼり始めてから10か月近く経ってしまいましたが、マキエもヨシオも元気にやっております。

 

書かなくなったのは、さして大きな意味はなく、ヨシオの暮らしぶりも安定し(てしまい)、改めて書くほどのこともあまりないなあと……。

 

でも、まあ、正直なところ、単に日々に流されていただけ、とも言えます。

 

ですが、なぜか久しぶりに、このブログやら西園寺facebookやらを閲覧してくださった方が急に増えていたので、本日、本当に久しぶりにブログのページを開いてみた次第であります。

 

さて。

 

ここへきて、とうとう私らも結婚うんぬんと向き合うことになり、そのあたりの流れは、それはそれでそこそこ面白い話とも言えそうなので、ぼちぼちブログも再開できたらなあと思っております。

 

今日は、予告に過ぎず、恐縮ですが、それではまた、近いうちに…。

 

 

暇だ(笑)。

 

去年の9月くらいから3月の頭まで、なんだか仕事が異様に忙しい日々が続いていた。もちろんフリーランサーとしては、ありがたい限りなのだが、その間、ずっと週休1日ありやなしや体制で、正月も2、3日休んだだけだったから、2月頃はさすがにへとへとだった。

 

で、3月になって、今度は逆に、びっくりするぐらい暇になった。仕事はあるにはあるが、現状ではほんのわずか。当面、忙しくなる気配もない。これぞ、フリーランサーの良いところでもあり、困ったところでもある。

 

フリーランサーとはいえ、たまに暇になるのはいいもんである。忙しいときにできなかったことがいろいろできるし、思うぞんぶんのんびりできる。

 

本来、フリーランサーはこういうときに自分から企画を作って売り込みに行ったりすべきなんだけれども、そういうことをする時間があるなら、昔から自分が書きたいと思っていたものを書きたいと思ってしまう。たとえ、金にならなかったとしても。

 

なーんて、偉そうに言ってみたりしているが、実態としては、ここ2週間ばかりだらだらと過ごしてしいるだけである。

 

要するに、怠けているだけなわけだな。困ったもんだ。

 

さて。

 

先日、ヨシオとふたりで、大阪に2泊3日で旅行に行ってきた。ついでに京都にも立ち寄って観光もしてきたが、主な目的は、エレファントカシマシの30周年大阪城ホールコンサートだった。

 

大好きなエレカシとはいえ、その30周年記念コンサートとはいえ、コンサートのためにふたりで大阪まで行くなんて、以前のヨシオの経済状況ではあり得ない話であった。金があるというのは、やはりいいもんである(そんな言うほどは、ぜんぜんないけど・笑)。

 

そういえば、エレカシの宮本浩次さんが、デビュー30周年ということで、最近テレビやラジオに出まくっている。そこで目立ったのが、「お金ほしいんですよ、ホントは」的な話を何度かしていたことだ。数年前のコンサートでも、そうした発言をしていたっけ。

 

宮本さん、今年で51歳。我々とほぼ同い年である。若い頃あんなにとんがっていたロッカーの「お金ほしい」発言には、ファンとしてはがっかりさせられそうなものだが、私は「この人、つくづく正直な人だなあ」と、思ってしまった。

 

私自身、年取るにつれて、「お金ほしいんですよ、ホントは」と思うことが増えてきた。

 

若い頃はそうでもなかった。

 

若い頃は、夢も希望もある。そしてなにより、若さがあった。

 

だから、金なんていらない。

 

それに、たいして稼いだこともなく、自分の力で暮らしていたわけでもなかったから、金のありがたみもたいしてわからなかった。

 

しかし。

 

人間、50にもなると、社会経験、人生経験を経て、金のありがたみが身に染みてくる。

 

それと引き換えに、若さは失われていく。

 

そして、若い頃に比べれば、夢も希望も、ほんのわずかしか残っていない。

 

反対に、社会的立場や居場所はそれなりに固まってくる。

 

そうなると、人間、最後に金がほしくなってくるものなんだろう。たぶん。

 

あとは、健康だな。笑。

 

やれやれ、なんだかなー。

 

そうそう。

 

宮本さんの話を書き始めると、あれこれ止まらなくなってしまうのだけど、ひとつだけ書いておきたいのは、先日、NHKの「The Covers」という番組に出たときのことだ。

 

カバー曲を披露するということで、松田聖子の「赤いスイトピー」と、ちあきなおみの「喝采」を歌った。

 

どちらも素晴らしかったのだけど、何がすごいって、どっちも原曲キーで歌っていたことだ。

 

特に「赤いスイトピー」なんて、原曲キーだと最高音は、ハイCである。普通の男性歌手の最高音(地声)はGかせいぜいA、相当高い人でもBフラットがぎりぎりだろう。

 

それを2音上まわるハイC……。

 

宮本さんは、見事に歌い切っていた。声質がしっかりしているから、ぱっと聞いただけでは、そんなに高い声に感じない。ゆえに、彼がどれほど高音が出せるすごい歌手なのかいまひとつ一般に知られていないが、ハイCが出るのがどんだけすごいことかは、自分でちょっとでも歌ったことがある人なら、わかるだろう。

 

そういやあ、ハイCといえば、往年のテノール歌手のパバロッティが、「キング・オブ・ハイC」と呼ばれていたっけ。パバロッティの場合は、もうちょっと上まで出るのだけど、高いハイCをあまりにも美しく出すため、こう呼ばれていた。

 

まあ、世界的オペラ歌手は別として、ポピュラー音楽の世界でハイCが出せる男性歌手なんて、そうそういません。だから私は勝手に、宮本さんも「キング・オブ・ハイC」とお呼びしたいと思っている。

 

あ、でも、エレカシのオリジナル曲には、ハイCが出てくる曲は実は何曲もあるので、ファンの人にしてみれば、「何をいまさら」という話ではある。そして、宮本さんの歌の一番の魅力は、そんな技術的なことなどではないのだけれど。

 

と、どんどんファン目線のつぶやきと化していったところで、今日はこのへんで。何せヒマなので、また近いうちに更新できると思います。

実は先日、ヨシオのお母さんのお誕生日だった。

 

毎年ヨシオは、お母さんとふたりでちょっとしたお食事に出かけていたのだけれど、私は別段、何かしたことはなかった。まあ、結婚してるわけじゃないしね。

 

しかし、今年は「婚約者」となった以上(?)、何もしないのもどうかな~とちょっと思っていた。もうしばらくしたら、みーちゃんの結婚式でも顔を合わせるわけだし、その前にちょっとお会いしていろいろおしゃべりしておこうかしら、なんて考えたわけだ。

 

そうしたら、ヨシオのほうから「今度のおかーちゃんの誕生日のお食事会、マキエも一緒にいかが」と誘ってくれた。

 

というわけで、実際に、ヨシオのお母さんのお誕生会に、ヨシオと一緒に行くことになったのである。

 

何度か会っているとはいえ、久しぶりのご対面だ。結婚はしてないが、普通でいえば、お姑さんである。どんな話をしようかしら、なんて、事前にちょっと考えたりした。

 

私とお母さんをつなぐ最大にして最強の話題といえば、ヨシオ以外にありえない。基本はヨシオの話をしよう。「ヨシオさんは優しい」とか「ヨシオさんは面倒見がいい」とか、褒めるのもよいだろう。でも、褒めてばかりもわざとらしいのではないか。などとあれこれ考えた挙句、私はこの機会に、ヨシオについて思っている「心配なこと」をお母さんに話して、お母さんからヨシオに、何かひとこと言っていただこうかと画策した。

 

いうなれば、ユーミンの『ルージュの伝言』の歌詞みたいなもんだ。「ママから叱ってもらうわ、マイダーリン」というやつである。

 

あ、念のため断っておくと、ヨシオは浮気はまったくしてないので、そういう方向の話ではなく、私が一番「叱って」ほしかったのは、「酒の飲み過ぎ」である。

 

ヨシオは明らかに「酒を飲み過ぎ」ている。若いうちはまあいい。しかし、50を超えたいま、毎日毎日ウイスキーをダブルで5~6杯、ワインなら1本飲むというのは、いかがなものか。確実に頭と健康がやられるに違いないと、私は最近、ひじょーに心配しているのだ。

 

まー、ヨシオは基本的にがんこですから、私が何か言っても、まず、いうことをきいてくれない。いや、私以外の誰に何を言われても、まあ、基本的には言うことをきかない。でも、唯一、この人に何か言われたら、態度を改めざるを得ないだろうという人がいる。それが、お母さんなのだ。かつ、この話題なら、お母さんも、「あら、マキエさんは、うちのヨシオのからだのこと、こんなに心配してくれてるのね」と、好感を持って受け止めてくれるにちがいない、嫁的立場もアップするだろうなどと、余計なことまで考えていた。

 

そして私はさらに、予備の話題として、「ヨシオさんはものをまったく捨てないから、部屋がモノであふれてる」とか、「あんまり手を洗ってくれないから、ノロとかインフルとか心配だ」といった話題なども頭の片隅に用意し、いざ、お食事会に臨んだのであった。

 

しかーし。

 

私の読みは実に甘かった。お母さんの反応は、私の予想とはまったく異なるものであったのだ。

 

たとえば……。

 

マキエ「ところで、お母さん。ヨシオさん、ちょっとお酒飲み過ぎじゃないですかねー。大丈夫でしょうか……」

 

お母さん「あー、お酒ねー」

 

マキエ「はいっ!」

 

お母さん「この人の父親は全然飲めなかったんだけどね、私のね、父親がとても強い人だったのよ~。その血を受け継いだみたい」

 

マキエ「はぁ……」

 

お母さん「そうねぇ、うちで飲むのはヨシオだけね。でも、私もね、最近はちょこちょこ飲むの。量はたいして飲めないんだけどね。お酒、楽しいから、好きなのよ。うふふ」

 

あっさり玉砕。

 

となりではヨシオが勝ち誇ったような笑顔で私を見ている。

 

そこで、しばらくして、私はめげずに、もうひとつの話題にもトライしてみた。

 

マキエ「そういえば、お母さん、ヨシオさんって、何でもモノをとっておく人ですよね~。全然捨てないから、お部屋にモノが一杯で大変で…」

 

お母さん「やっぱり? 実はね、私もそうなの。押入れの中にいろんなものとってあって、あれがなかなか捨てられないのよね~。あれは人には見せられないわ~」

 

マキエ「あはは~」

 

またもや玉砕である。

 

私とお母さんの話を聞いて、ヨシオはとなりで笑いをこらえていた。

 

ああ、そうであった。

 

ヨシオのお母さんは、本当に怒らない人だったのだ。

 

そういえば昔、ヨシオがお母さんに怒られたのは、お姉さんのテストの点数が悪かったのを馬鹿にしたときぐらいだったって言ってたな~。

 

ヨシオがどんなに酒を飲もうが、うかつな失敗をしようが、留年しようが、せっかく入った会社を辞めようが、ニート状態で暮らそうが、稼がなかろうが、彼女と長年結婚しなかろうが、まったく怒らなかった人だ。

 

だからこそ、こういうヨシオという人間が出来上がったわけである。

 

それを今更、私なんぞが、やれ、「酒の飲み過ぎ」だの、「モノが捨てられない」だの、ちまちましたことを言ったところで、お母さんにしてみれば、実に他愛のない話題に感じるだけなのであろう。

 

というわけで。

 

結局この日は、ほかに、いろいろとお母さんの趣味やお友達のお話なんかをして、会は楽しく進行し、終盤を迎えつつあったのだが、最後の最後に、もうひと山あった。

 

そろそろ店を出ようかと、ヨシオが、「俺、ちょっとトイレ行ってくるわ」といって、席を立ったときのことだ。

 

そのときばかりは、お母さんとふたりきりになるとあって、私の中で、ぐっと緊張感が増した。

 

だって、先日、みーちゃんの結婚式の件で、「婚約者」を名乗ったばかりである。何か、おかーさんからひとことあっても不思議ではないだろう。「マキエさん、ヨシオのこと、よろしくお願いしますね」なんて、言われるのではなかろうか。あるいは、「マキエさん、ヨシオがいつまでも結婚しないでごめんなさいね」なんて、言われたりして! などと、思ったわけである。

 

しかーし。

 

ヨシオが席を立ち、私が緊張した瞬間、お母さんはこうおっしゃった。

 

「男の人って、意外とトイレが近いのよね。ね、そう思わない? うちのお父さんもそうだったのよー」

 

私は思わず、笑顔で「あはは~そうですね~」と笑ってしまった。

 

きっとお母さんも、気を遣って話題をいろいろ考えてくれたのに違いない。それはそれでありがたいことだったけど、当初わたしが目論んでいた、「ヨシオを叱ってもらう」という計画は、1ミリも遂行されずに終了した。いまとなってみれば、私の考えが甘かった。計画自体が、実に安易であったとしか、言いようがない。

 

帰り道、ヨシオとふたりきりになったところで、今回の「叱ってもらう」計画をヨシオに改めて説明した上で、思わず私は言った。

 

マキエ「ま、完全に玉砕したわけですよ。さすが、あなたのおかーさんだわ。それにしても、あれだね、お母さん、あなたのことは、ほんとーに、まったく怒らないよねー」

 

ヨシオ「そりゃそうさ。だって俺、別に、怒られることなんて、全然してないもん(笑顔)」

 

いやはや、ほんと、実に無敵な親子なのでありました。